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しかままことのネパール・レポート   Nepal Reports 2004年1月7日号



2004ネパール・レポート
NO.5
 
ネパール映画のポスター  パナウティー郊外 2003年8月 撮影者:志鎌 誠

ネパールの人たちの悲鳴

「イラクやアフガニスタンに比べれば確かにネパールは“かすり傷”程度なのかも知れない。従って日本のマスコミは滅多に扱うことがない。今、内戦が行われている最中でも登山客やバックパッカ−ズが外国から向かっている。その中には無論日本人も含まれている。現に私の親友バルは2ヶ月ほど前にオーストラリアとアメリカの登山客をサガルマータ方面に案内している。しかしながら、連日マオイスト派と政府軍との銃撃戦が全国各地で続けられ、たった一度しかない人生を落としてしまっていることも事実である。

 また何の罪もない子供たちの生命をも奪ってしまっている。表で遊んでいた子供が地雷をオモチャと勘違いして触り、爆発、即死。政府軍が高校生をマオイストに入っていると思い込み、射殺。このような事件が起きている。
 国、地域に限らず戦争とは悲惨であり卑劣なものだ。また生命まで及ばなくても人々の生活に当然多大な影響を与えている。
ネパールで唯一最大の産業が観光である。冒頭、今でも海外からの旅行客が来ていると書いたが、その数は通常時の半分に減ってしまっている。従ってホテルやレストランが立ち並ぶカトマンズのタメル地区でも店の半分ほどが閉鎖されたままになっている。また土産店の収入も落ち込み、連鎖的に仏像やアクセサリー類を作る職人の生活にも大打撃を与えている。
 国民のことを考えればマオイストも政府も戦争なぞしている場合ではないのだ。」


「シカマ・マコトのNepal Reports」 への問い合わせ先は
志鎌 誠   TEL&FAX 03−3386−0806

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スポーツからニュージランドのタマちゃんまで・・・
「シカマ マコトのナンデモこらむ」
http://homepage3.nifty.com/mabo8/



ネパール・データ
  • 「THE HIMALAYAN TIMES」  ヒマラヤ登山に関するポータルサイト
  • WWF Nepal Program  Save on Nepal’s Nature. ネパール・プログラム /ネパールの自然保護サイト

    Nepal Proguram 事例 − サガルマンタ(ヒマラヤ)の、フォレスト・プロジェクト
    ヒマラヤの森林破壊に対し、森林保護とベンガル虎など野生生物の保護活動を詳細に紹介。

  • 「Royal Nepalese Embassy Tokyo」  駐日ネパール王国大使館  
                                    ネパールへの入国に際しては、滞在期間の長短にかかわらず、入国ビザが必要 。

     
    Nepal Adhirajya(ネパール王国 ) 首都はカトマンズ Kathmandu 
    言語 : ネパールには40以上の民族が暮らし、70以上の言語が話されている。
    世界最高峰8,848m(エベレストMt.Everest)サガルマータSagarmathaはサンスクリット語で世界の頭という意味。
    また、ネパールは世界最大の自然博物館である。
    特異な地形と大きな標高差が生態系の多様さをもたらし、世界有数の動植物の宝庫となっている。
    世界中の花の2%
    世界の鳥類の8%(848種)
    ほ乳類の4%
    世界でに分類されている蝶15科のうち11科(500種以上)
    600種類の原産植物
    319種類の蘭


2003 ネパール・レポート
NO.4

破壊された村の駐在所
日時:2003年1月 撮影者:志鎌 誠

・マオイストが現れる村
今年の1月に行った時のことであるが、私は親友のバルと一緒にT村を訪れた。本当は戦闘が行われていた別の村に行きたかったのだけれど、現地の人に危険だから行くなと言われた。私一人では地理が不案内で自由に動くこともできず、また妻子があるバルを無理矢理連れて行くこともできなかった。そこで、時折マオイストが現れるというT村に行くことにした。カトマンズからバスで約8時間、そこから歩いて2時間かかった。山あいの寒村だった。そこに3日間滞在したのだが、結局マオイストは現れず、直接話を聞くことはできなかった。しかし、村の人たちから話を聞くことができた。

村の役員をやっているJ氏は、私がはるばる日本から来たと聞くと笑顔を見せ、喜んで握手をしてくれた。仕事はトレッキングガイドと農業をしている。またUML(ネパール共産党)のメンバーでもあると言う。だが、私がマオイストの話を持ち出すと、突如、顔色を変え、葉を選ぶように話し始めるのだった。マオイストは突然、朝とも夜とも限らず現れ、その人数も3、4人だったり20
人位だったりもする。そして、村人を相手に一方的に自分たちの活動や革命の話をしていくそうだ。それに対して村人は、ただ黙って聞くだけ、もし少しでも批判的なことを言えば何をされるかわからない。(ただしノーと言えないことは、政府軍の兵士が来た時も同じだそうだ)そして、学校にも現れ、そうなると生徒たちは急きょ家に帰らされ、教師を相手にやはり説教をしていくそうだ。その学校の教師にも直接会って話を聞いてみると、苦笑いをしながら「逆らったら殺されてしまうよ」と答えてくれた。

マオイストができたきっかけは選挙に破れ、自分たちの要求が通らないのに業を煮やし、1996年武装路線に走った。毛沢東主義を掲げているが、現中国政府は彼らの存在を認めていない。交流があるのはインドのマオイスト。両国国境沿いで合同キャンプを張っている。武器の調達もインドからが多く、また手製の鉄管やポット(湯を入れておく)を改造した爆発物も使用している。

10月上旬、ネパール最大の祭り、ダサイン期間中は休戦していたが、それが終わると再び戦闘状態に入ってしまった。今、止めておかなければ、取り返しのつかないことになってしまうだろう。

「シカマ・マコトのNepal Reports」 への問い合わせ先は
志鎌 誠   TEL&FAX 03−3386−0806



ネパール・レポート
NO.3

子供たち ー カトマンズにて

日時:2003年8月 撮影者:志鎌 誠

親友のバルと最初に知り合ったのは4年前、カトマンズのシバ寺院の上であった。その時、私はインドで被ったひどい下痢のために体が恐ろしく衰弱していた。バルはフリーのツアーガイドをしていて、外国人の観光客に声をかけて、交渉が成立すればカトマンズ市内やヒマラヤを案内して収入を得ることができる。が、それは、なかなかむずかしい。

その時、私は宿泊中の安ホテルの不備、水道が時間によって出なくなってしまうことを話すと、バルは「それなら僕の家に泊まりに来なよ」と、言ってくれた。私は少し考えたがシバ寺院から近くだと言うので、一応部屋を見てみることにした。
そして、10分後、古いアパートの一室に案内された。日本流に言えば四畳半一間、その狭い部屋の半分にはベッドが置かれていた。私はその上に座らされた。そして、念のため聞いてみた。
「僕の部屋はどこ?」
「ここだよ」
「・・・・・?」
「・・・・・?」
「それで僕はどこで寝たらいいの?」
「そのベッドの上でどうぞ」
「君たち家族は?」
バルには奥さん、小学生の一人息子、それにお母さんがいた。
「僕たちはこの土間で寝るから」
と、言う。いくら雑魚寝に慣れている私とは言え、また少しでも家族のために収入を得ようとしている気持もわかるが、
その場は丁重に断って、私は元の安ホテルに戻った。

どこの国でも見られるように、ここネパールでも貧富の差は激しく、その上カースト制がある。
そして、バルのような低所得者層が圧倒的に多い。唯一の産業は観光だ。しかし、社会不安が続いているため、現在外国からの観光
客は通常時の半分に減ってしまっている。
人々は生活していくためだけに精一杯だ。紛争が長引けば長引くほど経済は停滞するどころか後退する一方だ。

しかし、現実は人々が好まない方向に再び向かってしまった。先月の8月17日、3回目の和平会議がようやく開かれた。
が、しかし、話し合いは進展せず、そして、8月25日、マオイスト派は再び武装闘争に突入してしまった。現在全国各地で政府軍との間で銃撃戦が行われ、双方に死傷者が出ている。

この戦闘を終わらせるためには国際世論の目と声が第一だと考えていますが、
皆さんの知恵とご意見を是非お聞かせ願いたいと心から思っています。



ネパール・レポート
NO2

政党のデモンストレーション

日時:2003年1月 撮影者:志鎌 誠

・カギを握る政党政治、しかし・・・
「今、君の国を考えると3つの大きな勢力があるだろう?」
「・・・」
「つまり、国王、政党、マオイスト。しかし、国民はどこも信じることができない・・・?」
「そう。しかし、力があるのは2つだけ」
「えっ?」
「政党は力をもってない」
私の質問に対するカトマンズっ子、バルの返事だった。これはバルだけでなく何人ものネパール人からも同様の答えをもらった。民主制に移行してから13年、
確かにその歴史はまだ浅いのだが・・・。

昨年10月、現国王のギャネンドラが突如、強権を発動、総選挙の準備に入っていた国会を事実上解散させ、自分が任命する傀儡政権を造ってしまった。各政党は勿論、反発、抗議活動を行った。国内は混乱。その隙に乗じて再びマオイストが首都カトマンズにも進入、銃撃戦が繰り
広げられた。

−最近の動き−
1990年:
主権が国民に移管。複数政党制が復活する。
1996年2月:
マオイストが武装闘争を始める。
2001年6月:
王宮殺人事件が起きる。ビレンドラ国王を含む10人が死亡。
2001年7月:
政府とマオイストとの間で停戦成立。和平会議に入る。
2001年11月:
和平会議が決裂。再び内戦に陥る。
2002年10月:
ギャネンドラ現国王が強権発動。再び武力紛争が勢いを増す。
2003年1月:
両者が再度、停戦発表。そして、4月27日に1回目の和平会議を行う。従って、現在、ネパールには国会議員がいない。
各政党は団結し和平会議の参加を拒み(それをすると現国王政府を認めてしまうことになる)、ハンガーストライキ等の抗議活動を続けている。
ここまで書くと、我々日本人の認識では各政党を支持して文民政府に戻ることが望ましい、それが道理だろうと考えるかと思う。
しかし、冒頭に書いたように多くの国民は政党政治を信じていないのが現実だ。その最も大きな理由は“汚職の横行”である。
「航空機疑惑」「テレビ局疑惑」「下水道疑惑」等々、政治家が賄賂をいただくことが後を絶たない。
国民はそれに辟易している。それならば13年前の王制に戻した方がましだと考えてしまう・・・。
和平会議は今のところ(7月末現在)2回行われただけで中座してしまっている。この中途半端な状態が長期間続くとは思えない。
平和的な調停者が、今、必要だ。



ネパール・レポート
NO.1

 
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 『去る5月、三浦雄一郎氏が世界最高峰のサガルマータ(エベレスト)登頂に成功。(上記の赤ラインが三浦雄一郎氏の今回登頂コース)
70才という最高齢での記録を樹立した。そのことはとても喜ばしいことであり、ネパールという国の印象も平和で好ましい国に映っているかも知れない。しかし、現実にはここ7年もの間、内戦という深い傷口を抱えているのだ。

“大きな戦争の中に隠れた小さな紛争”と国連やいくつかのNGOがネパールを他の数ヶ国とともに指摘し、注意を呼びかけている。ことの起こりはマオイスト
と称する共産党の一派が1996年に武装路線に変更、地方を中心に活動拠点を広げていった。それを機に政府軍との武力衝突を繰り返すことになり、巻き添えになった子供を含めて、実に7,000人以上もの貴い命が奪われてしまったのだ。

  「キャンジン・ゴンパ」  2002年8月撮影  PHOTO:志鎌 誠

 
・内乱における死者の総数(1996年〜2002年)         7,383名
    内訳
    マオイスト 5,431名
    政府軍   1,952名
    子供      118名
    他、党員、教師、農民等が含まれる。
(「THE HIMALAYAN TIMES」2003・1・15付)

  そして、今年の1月29日、政府とマオイスト両派が停戦を発表。現在和平会議が進められてはいるのだが、定期的に行われているわけではなく、依然予断を許さない状態が続いている。
他の国でも見られるように、紛争が続けば自然環境に与える悪影響も計り知れない・・・。

  束の間の休息
 
  しばらくの間、私のネパールリポートをどうぞご覧になって下さい。』


データ etc.  

Nepal Proguram 事例 − サガルマンタ(ヒマラヤ)の、フォレスト・プロジェクト
ヒマラヤの森林破壊に対し、森林保護とベンガル虎など野生生物の保護活動を詳細に紹介。

Sagarmatha Community Agro-forestry Project (SCAFP)
The Sagarmatha Community Agro-Forestry Project (SCAFP) was initiated in July 1996 to address the issue of deforestation in the Sagarmatha region. The project focuses its implementation in Chaurikharka VDC (also known as Pharak) of Solukhumbu District in Eastern Nepal, while also implementing some programs in Khumjung and Namche VDCs. The goal of the project is to reverse the trend of deforestation and promote sustainable resource use of forest resources through integrated agro-forestry and community development programs. On 1 January 2002, His Majesty's Government of Nepal provided gazette-notification to the Sagarmatha National Park Buffer Zone. Chaurikharka VDC and settlements in Khumjung and Namche VDCs within the park form the Sagarmatha National Park's Buffer Zone. This significant action was one of HMG/N's contributions to the International Year of Mountains 2002 and also marked the 25th anniversary of Sagarmatha National Park.

    SCAFP's role in the protection of Pharak's forests and wildlife as well as sustainability of project activities is expected to be greatly enhanced as a result of Buffer Zone establishment. The project has been successful in generating conservation awareness among local residents. Women are specially empowered through capacity-building programs that include skill enhancement training tours and literacy classes. This has resulted in maximum participation of women in community development activities. In particular, HMG/N's declaration of Chaurikharka VDC as part of the SNP Buffer Zone was due to active participation and lobbying by local residents, especially women. Mt. Everest (8,848m) in the Sagarmatha region attracts more than 25,000 tourists, primarily trekkers and mountaineers every year. Thus, tourism provides the park with high economic value.

    The economic and management repercussions of tourism result in intricate linkages between tourism, conservation and development. Keeping this in mind, SCAFP established a Visitor Information Center, which was officially inaugurated by the Minister of Forests and Soil Conservation Mr Gopal Man Shrestha on 6 Nov 2001 at Phakding. SCAFP is continuing its alternative energy programs to reduce pressure on forest resources. Installation of back-boiler water heating systems and support to a gas depot run by the Women Awareness Group at Lukla are the major programs introduced to reduce fuel wood consumption.